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ということで、買ってみたのがMP3でダイレクトに録音できるICレコーダー。

SANYO デジタルボイスレコーダー「DIPLY TALK」(グレー) ICR-S260RM(H)
↑これね。
ついでにマイクもちょっといいやつを買ってみた。

audio-technica AT9860 ステレオマイクロフォン
↑これ。
さらに、こちらの記事を参考に RSS2.0 を修正。
というかパクらせていただきまして、録音。
このICレコーダーはUSB端子が直接付いているので、そのままPCに指すと外部ディスクになってくれる。なので、できたMP3をそのまんまアップロードしてみた。
でもってボソボソしゃべってみたのですが、うまくいくかなぁ。

映画が始まる前に予告編のCMがたくさん流れるんだけど、それを見ていていやだなぁと思ったのが、「あらしのよるに」という映画。
あらすじは、まったく闇夜の嵐の晩に小屋で一晩寄り添うように過ごした2匹の動物。これが、食べる狼と食べられる羊だったという話。仲良くなっちゃったんだけど、本来は食物連鎖の間柄なので、腹が減ったら仲良しの相手を食べたくなる。それを何とか克服したところで、狼仲間は羊を食わない狼をつまはじきにし、羊仲間には狼だから近付けない。
そんな中で狼が「なぜ自分は狼なんだ」というモノローグが流れたりする。
ま、予告編見ただけですっかり内容は想像が付く。最後は、死ぬか死なないか、食うか食わないか、それをアレンジすればどっちに転んでもお涙頂戴って感じかね。
この食物連鎖に関わる部分を種族や感情に交えてストーリーに仕上げるのは、生き物の本質を揺るがすというか、非常にいやな手法だと個人的には思う。
これは、ちっと前にあった「シャークテイル」というCGアニメを見たときにも思ったもの。こっちでは、サメと小魚という違いはあるがおよそ同じようなもの。ラストは、サメたちが食べないという選択をして仲良くなって終わってしまう。シャークテイルにはさらにむかつくシーンがある。レストランでサメに出されたエビが、食べないでと懇願するのだ。結局、このエビたちは逃げ出すことに成功してしまったわけだが、その後食べようとしたサメが沈没船の窓に挟まって動けないのをいいことに、大勢で寄ってたかってかじりつくシーンがあった。それも意気揚々とさも自分たちは強いといわんばかりに…。あの時懇願してたあんたは何だったの? といいたい。相手が動けないと急に強くなった気がする神経って弱いやつにありがちだよね。
動物である以上、自分が行き続けるためには他の生物の命を奪わなければならない。それを否定してしまっては、自分自身の存在…というよりも「動物」という生物全体の存在意義がないものになってしまう。シャークテイルのサメたちは、今後どうやって生きていくんだろうか。というか、魚すべてが別の魚やプランクトンは食べているわけでそれはいいのかね。君ら全部全滅だよと、ダンスしまくる魚たちに問いただしたい気分でエンディングを眺めていた。
ハマターイムで踊るのはおかしかったけど。
映画を見ていないのに同列扱いするのもどうかとは思うけど、食事を否定するのはいかんと思うのですよ。最近、テレビでもCMが流れ出したので、そのたびになんとなく尻のすわりの悪い感情に揺さぶられている。
やっぱりこれが種族間の対比になぞらえるのはおかしい。日本の昔話で、サルとイヌが戦う話がある。これはお互いが食物連鎖の関係にない。食料を得るための領土の問題で、仲良しだったサルとイヌがそれぞれのグループのボスとして仕方なく戦うことになる。これが種族間の争いというものではないのかなぁ。
ご飯を食べるときに「いただきます」というのは「命を頂きます」の意味だって言うのは、だいぶ前に書いたかもしれないけど、自分が生きるためには仕方がないことで、死んだ瞬間に(あるいは生きていたとしても食べると決めた瞬間に)それは、栄養源でしかなくなってしまう。だからこそ、自分の栄養として自分とともに生きることとなった相手に対して感謝する挨拶が「頂きます」なんだそうだ。
食べるという必須の行為を、感傷論に摩り替えるのは、それだけ食べる行為が大事にされなくなってしまったんではないかと、ちょっと心配になってくる。
以前書いたピクトハウスというおもちゃのその後。なんとエンディングがあった。マニュアルを読んで判明したのですが、2週間経つと動物が変化するらしい。
3週間以上ほったらかしていたけど、特に変化はなかった。が、振動を与えてやるとお姫様らしきものに進化した。
…それが、なにか?? という感じでした。がっくし。